お坊さんに聞いてみた件
- kumagaibianliwu
- 2020年11月20日
- 読了時間: 2分
介護、病気、障害などなどこれに限らず、人は、死にます。
くまがいの疑問は、死に関すること
いろいろありますが、死をどのように捉えていいのか?
死を隠すような日本の社会のように感じてます。
小さい時に近所に居た、キレイな人が首吊り自殺をした現場に居合わせた事があったり、家で預かって居たニワトリ、学校から、帰ると、ニワトリがいなくなって(母の話では、にわとりは、返した言ってました)その日の晩御飯が唐揚げでした。
家族が多いので身内が病気で死んだり
まぁ~くまがいの中では、死は、とても身近に感じてます。
そして、生きる=死
生きるを考えると死もセットで考える、死を理解すれば、生きるが分かる?
そんな風に考えしまします。
そして、望む死(自殺、嘱託殺人)殺したいと思う相手、殺す理由など、そもそも、人が人を裁く事ができるのか?イロイロ思う事がありますが?
人によって考え方は、イロイロでしょう、職種によっても考え方捉え方も違うでしょう
いろんな人に聞きたいと思うテーマなんですが・・・
とりあえず、お坊さんに聞いてみようと思いまして、住職に聞いて見ました。
小学生にもし、なんで人を殺したらダメなの?と質問されたら、どう答えますか?
「今すぐ、お前をぶっ殺す→ぶっ殺す→殺してもいいか?殺さるて言われて、嫌な気持ちになるでしょう、嫌なことは、人にしては、ダメなんだよ」的な感じです。
仏教の中での死に対しての考え方は、「真理」=その相手の気持ちになって、すごく深く考える的な風にくまがいは、感じました。
その人の気持ちになって考えるシンプルな答えですが、くまがいもその考え方に賛成派で普段でも人にされて嫌なことは、しないようにしようと思っています。
もし殺してほしいとお願いするAさん、Bさんは、そのお願いをどうするか?は、分からないですがAさんは、Bさんにお願いして、Bさんが殺してほしいと言われてどう思うか?を考えて行動しなくては、いけないていうのが「真理」なのかな?
お坊さんとの話は、まだ途中ですが、くまがい的考えに近いものがあるなと思いました。
くまがいは、便利屋さんがダメなら、次は、多分、暗殺者にジョブチェンジするかもです(笑)


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